10年後にも読みたい本 舟橋孝裕の場合

少しずつ「10年後にも読みたい本」の紹介を進めていくにあたって、まずはどういう順番で紹介していくのがいいかを考えた。

『最高の三十代 ~Perfect SAN-JU-DAI~』の掲載順にするか、あいうえお順にするか、などといろいろ考えてみたけれど、ものすごく恣意的な順番にすることにした。特にそこに外的な法則性を伴うことは一切せず、まずはこの人次はこの人、とその都度決めていくことにした。必然何となく後回しになる人が出てくるけれど、それはそれで止む無し。むしろそこまで走り切れたら大したものだと思う。

今回この同人誌を作るに至る経緯を十数年単位で考えてみると、そもなんで今自分がここに立っているかを振り返ったときに、まぁそれなりにいろいろとあったわけで、その道中で知り合った人たちの協力があって今の自分があり、これからの自分が出来ていく、その過程でこの同人誌が出来た。なのでそれに則りつつ振り返りつつ懐かしみつつ、一人ずつ一冊ずつ紹介していこうと思う。

果てしなく私的な話の連なりになるけれど、そも土台がそういうものなのでよしとする。


最初に紹介するのは、舟橋孝裕。呼称、舟橋さん。

あくまで現時点から見た結果論ではあるけれど、この人と出会っていなければ僕は本を売っていないと思う。少なくとも今のような、何かをしつつ何かをする、というような形では。生活の中において「活動」をすることの面白さや面倒さのおおよそは、彼と過ごした時間の中で体得していった。日頃の社会的な日常生活を送るその寸隙を縫ってやれる限りのことをやる、思いついたことは思いつく限りやる、丹精込めて結果失敗したところでじゃあ次もっかいやりゃあいいだろうという気持ちでやる、今の活動に通じるそれらの精神の根幹は、きっとおそらくこの時期にある。

彼はエレクトリック・ベースギタリストであり芝居を打つ人であり、総じてエンターテイナーだった。それにくっついていた時分は特に自分で何かをやろうとはしていなかった。そんな必要はなかった、目の前の男がだいたいなんかやっているからだ。

あの時期は紛れもなく、私の人生の中における青春だったと思う。

この辺りを掘り始めると小冊子くらいは軽く出来上がってしまうので割愛する。というよりご本人が10年ほど前にワンマンライブ(バンドのではなく自分のワンマン)で実際に冊子を作っている。あれもまたスゴイ一冊。


そんな青春を共にしていた彼が選んだ「10年後にも読みたい本」は、霧の中/佐川一政だった。

つい先日亡くなった、とある猟奇的な殺人事件の犯人が綴った小説。有名な事件なので名前だけでもピンときた人がいるかもしれない。念のため補足すると、彼がこれを選定したのは亡くなるより前の話だ。

正直、とても読みにくかった。グロテスクな描写が受け付けなかったからではなく(そういう意味で言えば平山夢明は二度と読みたくないキツイ)、前半部に記された、著者の「人付き合いの不器用具合」の描写がとても痛かったからだ。共感性羞恥というやつなのだろうか、逐一自分の過去の拙い所業がそこに列挙されているような感覚に陥り、なかなか頁が進まなかった。

著者(と呼ぶべきか犯人と呼ぶべきか)のことを名前くらいは知っていたけれど、元々日本文学の研究をしていた人で川端康成を専攻していて、その所以もあってパリにいたことをこの本で初めて知った。これから川端康成を読もうと思っている身として、川端康成の女性観や巻末の付録が参考になったのが棚ぼただった。先日観た『狂った一頁』の事にも少し言及されていた。あれも大変に怖い映画だった。閑話休題。


これは解る人にはすんなり了承いただけるだろうし、全く受け付けない人には猜疑の眼を向けられるだろう発言であることは承知しているけれども、人は時として猟奇的な描写に心惹かれてしまう。実際にそれを行ないたいとか行為の妄想に耽りたい、といったわけではない。ただ何となく、誰かが仕出かした猟奇的な話へと陰の力で引き摺られ、虚ろに爛爛とした眼で真剣にそれらを読み漁る。そういうのにかぶれてしまう時期がある人にはある(サメ映画に求める類の感覚とは違う。あれは言わば「陽のグロ」だ。どれだけ派手に血潮をまき散らすかになぜか心血を注いでいる)。

かくいう私も、いわゆる"そういうの"が夥しい数載せられた個人ホームページを読んでいた時期があった。朧げな記憶を頼りに検索してももう出てこなかったから、きっとなくなってしまったんだと思う。確か「MONSTER」という名前のサイトだった。


これを10年後にも読みたい本に選んだ、ということについて、本人も少し自分のことながら懐疑的だった。でもこの一冊が良いと私は思った。

今や30代も後半でしっかり40代が見えてきた彼にも、この一冊に虜になった時期が間違いなくあった。元より本に限らず、たとえ今の自分が手にしなくなった類のものに為ったとしても、それを欲した時期が自分にはあり、それは容易く改変・美化されてしまう己の緩やかな脳味噌とは違い、一切の形を変えずに今も先も存在し続ける。あいにくと今は目を背けたくなるような代物かもしれない。でもそれを手にした自分も紛れもなく自分であり、それを経たことによって今の自分たり得る。そういう意図において、遠大な人生の一つのランドマークとしてこの本を根差しておくことは、とても良いと思った。



彼が『最高の三十代 ~Perfect SAN-JU-DAI~』に寄稿してくれたのは、『最高の30代殺人事件』。古畑任三郎が大好きな著者による自己探究的エンターテイメント小説、最後の1行まで目が離せない。大変陳腐なPR文だがついに使ってしまった。

こちらのブログにもあるように、楽しんで書いていただけた様子が伺えるものが送られてきて、一読して「やっぱ舟橋さん面白れぇわ」となったのをよく覚えている。

この度こうやっていろんな人に声掛けした理由のひとつに「私自身は何かを生み出すことがとても苦手だから」というものが挙げられる。ゼロからイチを出すことが大変に不得手だ。だからそれを当たり前にできる人たちのことを無条件に尊敬する。そういった意味では、今回寄稿してくれた方全員を私は尊敬している。



『最高の三十代 ~Perfect SAN-JU-DAI~』は下記BOOTHでの通販、西荻窪のBREWBOOKS内こんぶトマト文庫の棚で販売しています。

また直接ご購入希望の方は、こんぶトマト文庫のメール、ツイッター・インスタグラムDMでもお受けいたしております。お気軽にご相談ください。

こんぶトマト文庫のふみくら

本屋「こんぶトマト文庫」のホームページです

0コメント

  • 1000 / 1000