新年は明けている日記

本年もどうぞよろしくお願いいたします。


この挨拶は果たしていつまで有効なのだろうかとふと思う。

まず、12月31日は早すぎる。なにせその日の本年ってものがあとせいぜい二十四時間しかないのに、何を一体よろしくするのだろうか。でもほんの10分ほどの講座を受ける前にもよろしくお願いしますと挨拶するのだから、別に大丈夫と思えば大丈夫なのかもしれないとふと思った。今日は近くの公的な体育館にあるトレーニング室利用希望の講座を受けてきたところだ。1回300円。とても安い。

1月1日は当然いいだろう、むしろどうせ言うのなら早ければ早いほど適用される「本年」が長くなるからとてもお得でとても良い。特段そういうよくわからん浅ましさが由縁ではなかったはずだけど、新年になった途端に友人へキャリアメールを送っていた頃があった。誰しも同じことを考える様で、なかなかセンターに繋がらず年明け早々やきもきした覚えがある。この前の年越しは、年始早々のお仕事の準備がやれやれ何とか終わったとポテチを食べていたら過ぎていた。次第にそういうものになっている。それで特に差し支えない者になっている。

1月3日くらいまでならいっこうに気にすることもないだろう。三が日、という言葉もあるくらいで、この辺まではわりと元旦を筆頭とした正月の一味と見られている節がある。とはいえ、1日は朝からBOOK PORT CAFEにいたし2日は午前中から吉祥寺、そして3日は本業の仕事始めだったから正月も何も特に何も、といったあんばいだった。上司や同僚にはよろしく挨拶した。

1月7日はまだ許されよう。松の内とも言われているし、何より年始は多くの人が帰省などをしていて普段会う人と会わないことがままあり、よろしく挨拶するタイミングがなかなか見つからない。この辺りまでは「まだ新年っしょ」みたいな雰囲気ごり押しで言ってしまうことが出来る。と勝手に思っている。


そして今日は1月11日である。日付的には12日だけどまだ寝てないので11日である。

どうだろう、この頃合い。ちょっと遅きに失した感は否めない。仮に明日会社で会った人、既に仕事始まってるけれど会う機会がなぜかなかった同僚とかに「今年もよろしく」と言われたら、「オッ今か?」といった気持ちにならないだろうか。なりそうな気がする。これが月一定例で来る業者さんなら大丈夫だろう、イレギュラーがない限りはその日が初っ端になるわけなのだから。しかし相手は同じ会社の同僚である。わざわざそっちの部署に出向いてご挨拶というのもなんだか仰々しいから廊下ですれ違った折にでも、と思っていたら全然すれ違わずに今に至ってしまっている。そしてならばこの頃合いに廊下ですれ違った際、よろしく挨拶をするかというと、しない。なんかしない。瞬間、何か言わねばならぬのか?というピリッとした緊張が走るが、もはや互いに日常業務に追われる身、いつまで新年のご挨拶なんてかましてやがるんだとなるので、そのまま伏し目がちに「ッザァース」という表音ギリギリの挨拶を交わしてスッとすれ違う。なんとももんにょりした気持ちになる。


そもそもなのだが。

「相手が昨年親族を亡くしている場合は『あけましておめでとうございます』と言ってはならない」という縛り、これはなかなかどうして厳しくないだろうか。どうやって相手のお葬式事情を把握するのだろうか。かつてはそれが筒抜けな共同体だったからこそ仔細ない話だったのだろうけれど、今やそれは相当な無理ゲーなのではと思う。だから今は「本年もよろしくお願いいたします」だけで通している。相手は気兼ねなくあけまして云々と言ってくる。


10年後にも読みたい本、の続きを進めていきたいと思う一方で、そも書く人でないことは重々承知しているのだけどそれにしても全然筆を進める気力が湧かないな、となってしまったので、とりあえず何か書いてみるか、と書いたものを眺めてみると、スカスカで頼りなくて我ながら笑ってしまう。

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