今週の書評で気になった本 11月第4週

先週は自宅のネット回線不調のため更新ができませんでした。

ので二週間分まとめての更新となります。


11月25日(土)毎日新聞書評より


書名:人種差別の習慣 人種化された身体の現象学

著者:ヘレン・ンゴ

訳者:小手川正二郎・酒井麻依子・野々村伊純

出版社:青土社

価格:3,080円(税込)

ISBN: 978-4-7917-7595-8

青土社 ||哲学/思想/言語:人種差別の習慣

ヘレン・ンゴ 著,小手川正二郎、酒井麻依子、野々村伊純 訳定価3,080円(本体2,800円)発売日2023年11月14日ISBN978-4-7917-7595-8日常に織り込まれた差別とは 差別を体現する行動や仕草は、日常生活に知らぬ間に入り込んでいる。それは差別される者にしか気づかれない。誰もが意図せずに行ってしまう/向けられている可能性を孕む「習慣的な人種差別」。メルロ=ポンティの現象学に軸を据えながら、差別する・される身体の多様なありようを明らかにする。マジョリティのまなざしを捉え直すための必読書。[目次]日本語版への序文 謝辞 序論 第一章 人種差別の習慣――身体的な仕草、知覚、方向づけ 第一節 習慣と習慣的身体 第二節 習慣は社会的でありうるのか 第三節 習慣的で身体的な仕草や知覚のなかの人種差別 第四節 習慣的な人種差別と責任 第二章 人種差別と人種化される身体性の生きられた経験 第一節 人種差別と人種化の身体的な経験 第二節 白人の身体性と存在論的な拡張性 第三章 不気味さ――人種化された居心地悪い身体 第一節 不気味さ(Unheimlichkeit)と人種化された身体 第二節 家の多孔性、身体の多孔性 第三節 家は必要なのか 第四章 人種差別のまなざし――サルトルの対象存在とメルロ=ポンティの絡み合いとの間で 第一節 対他的身体、対象性、人種差別のまなざし 第二節 まなざし–対象の存在論を複雑化すること――目を向けることの様相、見られている自分自身を見るこ と、そして身体の両義性 第三節 メルロ=ポンティの絡み合いと、人種化された身体性における主体–客体の溶解 結論 訳者あとがき・解説参考文献 索引[著者]ヘレン・ンゴ Helen Ngo(吳莉莉) 中国系ベトナム人難民の娘としてオーストラリアで育ち、ニューヨークのストーニーブルック大学にて哲学博士号を取得。現在、三人の子どもを育てながら、ディーキン大学(メルボルン/ナーム)で特別研究員をしながら哲学を教えている。専門は、現象学、批判的人種哲学、フェミニスト哲学。共編著に、Philosophies of difference: nature, racism, and sexuate difference(Routledge, 2019)がある。[訳者]小手川正二郎(こてがわ・しょうじ

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何の気なしに定義され、または定義し、そして日常の中で無造作に登用される「人種」。

人が「人種」として見られ、扱われるのはどういうことか。

「人種差別」は何も苛烈なヘイトスピーチを叫ぶレイシストだけの専売特許ではない。差別を体現する行動、仕草、言動は、知らぬ間に(というのが何とも欺瞞的な言い方ではある)当たり前の日常の中に浸漬している。


書評でも引用されている、ある黒人男性が夜道を歩くときに自らの無害性を示すために白人カルチャーにちなんだ音楽を口笛で吹くというエピソードは、ややもするとコミカルさすら漂ってきそうだが、ジョージ・フロイドの話をする間でもなく、そこには己の文字通りの生命がかかっている決死の行為と言える。

表立っては出てこない、その分日常のあちらこちらにあるふとした行為。その瞬間にピントを合わせて世界を見ると、きっとそのぎこちなさが見えてくるのだろうと思う。

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