罪とか罰とか

法律やルールが一回決まったらそれはもう不可侵なものであり絶対に破っちゃいけません。


というムード、雰囲気、空気、なんかそんな感じ、をとても窮屈に思うようになったのはいつのことからか。

昔は周りの大人の言う事をきちんと守る、とてもかしこいこどもだったので、そういう雰囲気作りに尽力していたように思う。

今振り返ると、自分の主体をどうこう考えることは一切しておらず、結局言われるがままにそれをそうだと思い込んでいただけに過ぎないなと思う。

今でもそういう風に頭が動いてしまうときがあるので、日々気を付けていかなきゃって思っている。


そも、法律にしたってルールにしたって、そのおおよそは人間が後天的に作ったものだ。それがあたかもこの世の普遍的な理であるかのように捉えることは、多分間違っている。たまにそうやってふるまっている人がいるけれど、まぁ、滑稽だ。法を盾に圧政を強いてくる愚かな政治家とか。

そして、法に触れていないのなら何したってかまわない、と標榜している人たちもまた、滑稽だなっていつも見ていて思う。法の盲点を突いて自分に科せられたものから全力で逃げて、それで得意になっている人とか。そこで得られるであろう優越感はとても虚ろなものだ。きっと彼らからしたら、こういう感想は全て負け惜しみのそれに過ぎないと一笑に付されるのだろうけれど。


昔から「嘘をつかないようにしよう」というのを信条にしている。とりわけ、保身的なものや自己の利益に還元するための嘘を。

バレなきゃ嘘をついても構わない、と言い切る人もきっといるだろう。そしてバレない限りそれが誰かから糾弾されることもないし、それで何かしら利得を得られることもあるだろう。

それでも僕は、嘘はつかない方がいいと思っている。

単純な話、どれだけ上手い嘘をつこうが世界中の誰彼もがそれを心底信じようが、自分自身はそれが嘘だという事を知っているからだ。

その事実は心の中の奥底へ澱となって沈んでいき、濁りをもたらす。一度濁ったそれはなかなか元通りにはならないし、多少濁っているならばと次から次へと澱が嵩んでいき、いつしかどろどろになる。

そしてそのどろどろは自分だけが直視し続けなくてはならない。虚飾にまみれた命が終わるその瞬間まで。


そういう終わり方はしたくないなぁ、と思うから、今日も今日とてなるべく正直に生きている。

こんぶトマト文庫のふみくら

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