多重する自分
たまに楽器を思いきりかき鳴らしたくなることがある。楽器出来ないけれど。
出来ない、というのはやったことが全くないから、と言うわけではない。小学生の頃はエレクトーンを習わされていたし、20代の頃は一時期家にエレキベースがあったし、思い付きで買ったドラムスティックを手に一人スタジオへ行ってみたこともあった。
でも結局は、どれも自分にならなかった。周囲の環境なのか適性なのか、それはわからない。ただ、それは自分にならなかった、という感覚が近い。
料理は自分になった。どちらかと言えば中華やパスタがより身近にある。和食は作れるけれど普段はあまり選ばれない。
コーヒーを淹れることは、もう長いこと自分になっている。最近ネルドリップで淹れることを覚えた。ペーパードリップとそんなに違うのかね?と思っていたけれど、覚めるような違いがあった。酸味が強い豆をあれで淹れるとすごく好きな感じになる。
音楽だって、聴く方はしっかりと自分になっている。とはいえジャンルによって好き嫌いは結構ハッキリしている。音楽に限らず、たまに「自分雑食なのでジャンルレスでなんでもいけます」って言っている人がいるが、世界の広さを知らないだけかそも興味がそこまでない人にしか見えない。極々一握りのお化けのような碩学者だけだろう、そんな言葉を言っていいのは。
音楽でついでに言えば、レコードはしっかり自分になりつつある。1年半前にとりあえず、で買った安いオールインワンなレコードプレーヤーが駄目になってしまったようなので、きちんとしたものを一式揃えるつもりでいる。まずは置く場所を設けないといけない。
自分に自分を重ね、その積層の中に新しい自分を見つけ、また重ねていく。
この工程に際限がない以上、本当の自分、というやつは完成しようがないものなのだろう。どこまで行っても次はこれと新しい自分になり続ける。
今日は初めて手製のジンジャーエールを作ってみた。これから試飲する。これは新しい自分になるのだろうか。
0コメント