僕はエヴァンゲリオンを語れない

※シン・エヴァのネタバレは含みません。そもそも僕もまだ観てない。





幾度にも渡る延期を経て、シン・エヴァンゲリオンが公開された。

エヴァについては僕が特筆することは全くない。おおよそ四半世紀前にテレビで放映されたアニメがようやく終わりを迎えられた、らしい、という話だ。


僕は新劇場版のエヴァ、もといヱヴァは全て映画館で観た。序は高校時代の友人と、破は同じ友人と2回ほど、Qはひとりで。破の展開に心を熱くしていた僕は、Qの次回予告と前日の金ローで放映されたQの冒頭映像を胸に公開日の朝イチの回でQを観た。あとは何も言うまい。

とはいえ、僕はそんなに熱心なエヴァファンではない。TV版はリアタイでは一度も観たことがないし、旧劇場版もずいぶんあとに観た。その頃にはTV版、そして旧劇場版がどんな展開になるのかは断片的に知っていたから、さほど酷いショックを受けることなく旧を観終わった。

先述の友人は違った。彼は僕と同い年だけどリアタイでエヴァを観ていた人間らしく、詳しくは聞いたことがないけれどアレも相当にエヴァに人生を振り回された類の人間だったようだ。


そんな彼と新劇場版の序を観に行った。夏の暑い日だった。

とてもざっくりと説明すると、新劇場版の序はTV版の冒頭数話を下敷きに作られたもので、いろいろと設定は変わっているものの、おおまかな話の展開や登場するキャラクターや敵に大きな違いはない。だから僕も、序を観ている間の感想は「すげぇ画が綺麗になってる」とか「旧ラミエルの造形やばい」とか「相変わらずミサトさんはエヴァーなんだな」とか「林原めぐみって永遠に林原めぐみなんじゃね?」とか、そういう他愛無いことに終始していた。言ってしまえばエヴァをエンタメとして楽しみまくっていた。


上映が終わり、さぁ帰ろうとしていると友人の様子がおかしい。別に元々感情の起伏を表出するタイプではないけれど、それにしても完全に沈黙しきっている。外部からの刺激や干渉を拒否する雰囲気をまとっている。押し黙ったまま劇場を後にし、チャリンコに乗ってもそのままずっと黙っている。いや、お前今ワタクシというツレがいるんだが?

さすがに痺れを切らしてどっか飯なり茶なりをしに行かないかと提案してみると

「いや、今考えてるから黙って」

と返される。そんなことは言ってもと思い反応するも

「これはお前にはわからない」

などと言って取り付く島もない。結局その日はずっとそんな感じだった。


当時はなんだコイツとしか思わなかったけれど、多分彼の中ではエヴァンゲリオンという作品があまりにも肥大化していて、それとずっと付き合って戦ってきたんだろうなと、勝手に推測しているし、ああいう人たちの呪縛が今回のシン・エヴァでようやくほどけたとしたら、それはとても良かったことなんだろうと思う。

その辺の感覚は僕にはどうしてもわからない。エヴァ作品は割と好きだし先にもあげたように映画館で観てはいるけれど、あくまでそれはエンターテインメントを享受する流れとしてだ。彼のように、おそらくは自分の魂のために観に行ったわけではない。


そんな彼も、破を観に行ったあとは「やったよ!シンジくんがついにやったんだよ!!」と心の底から嬉しそうにぬか喜びをしていた。Qが公開されたころには既に疎遠になっていたから、彼がどういう面持ちでQをあとにしたのかは知らない。Qでもっかいかけ直された呪縛がシン・エヴァできっちり解呪されていることを切に願う。

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