新刊を売ることについての愚考その他

自分の中ではとっくに結論が出ていてそれに向かって現在進行形で進んでいるところだからいいっちゃあいいんだが

今更自分が「新刊を売る」側に再び立つことについて、その意義について、それを自分がやる必要あるかねってことを活字に起こして考える。2月3日のド深夜。


ひとつめ。

とてもものすごくシンプルに、本を売る場所、本にアクセスできる場所、本と近づける場所というものはあればあるだけ良いと思っているから。

もちろん何事にも限度というものはあるし、度が過ぎれば飽和状態にも陥るのだろう。でも今の日本の状況下で本屋の数が飽和状態に陥るという事は、あまり考えなくていい話だろう。あまりにもその頂は遠すぎる。だから安心して場所はガンガンに増やしていけばいい。


ふたつめ。

僕一人が自分の生活の余剰資金で本買うよりも、その余剰資金や時間で本がある場所を作っていった方が、もしかしたらよりいい効果あるんじゃないか?と思い始めたから。

ここしばらくは、現状既にある本屋さんやこれからできるお店を応援するゾ!みたいなスタンスでやってきていた。ブックマンションの活動もどちらかと言えばコミュニティに帰属するための活動、という側面が強くて、まあそれも新型うんたらかんたらによってあまりその効能を発揮しきるに至っていないんだが、それでも年末年始のジュンク堂さん企画を経て少し関係性やかかわり方が変わった点もあるし、近似のスタンスでこれからブリューブックスでもやってこうと思っているから、まあそこはそことする。本当は池上にももっと行きたい。美味いパン屋があるんだ。

が、この「現状既にある本屋さんやこれからできるお店を応援する」という行為、も少しくだけて言うなら「自分が興味ある事柄に関する情報を収集して行動に移ること」が既に一定の高さを持つハードルであり、その間口はとても広く開けられているけれど、それだけでは人は来ない。情報を収集する意思を持つこと自体がある種の才能に依拠しているから、知らない人からしたらそれはもはやよくて風景ほどの存在でしかない。そしてそれは決してイレギュラーなことではない。

で、これはその情報収集を日常としている意識高い人間の悪しき思考パターンもとい僕のダメなところとして、同様の情報を反復して接種することも当然に多々あるわけで、そうなると情報に対する新奇性がだんだんと失われていき、その情報に初めて触れる第三者の視点が欠落していく。ライトハウスの関口さんが「独立系書店の金太郎あめ化」というような発言をツイッターでしていたけれど、それも独立系書店の情報、今の書店業界の先端部の動きをしっかりチェックしているような人だからこその感覚であって、ご近所になんか本屋さんあるねぇくらいの人からしたら、そんなわざわざ他県のちっさい本屋さんの情報を集めたりしないし、当然そこのお店に対して「どこそこの本屋さんでも同じの見たわ」みたいな感想は生まれない。もちろんこれは「よしとりあえずツイッターであのカリスマ書店員さんが推してるこの本を並べておけば間違いねぇな!」という安直な話ではないけれど、過度に「よそのお店にはない、もっともっとオリジンを出さなければ」という強迫観念を抱く必要はないんじゃないかという話。自分とこに必要だと思ったならネット上で使い古されている情報だろうが現実にはそんなの無縁なのでガンガンに使っていけばいいと思う。とはいえ、流通の関係で一般的な週刊誌や月刊誌を気軽に置くことがとても難しいパターンが多いし、そうなるとご近所の本屋さんに求められている機能を十全に果たすことができるんかいと言われると渋面作るしかなくなる。ぶっちゃけ出来ませんもん。


余談が過ぎたし脱線も甚だしいけれど、本旨に戻ると僕一人が自分のなけなしのお金を使って本を買いまくったところでたかが知れているし、それなら無駄に持て余してる時間と余力を用いて本がある場を作っていったらいいんじゃないか、と思った。費用対効果的なものははなから考えるつもりはなくて、そこを打算的にやるにはあまりに経験と才能がない。じゃあそこがいっちょ前になるまでしばらく修業します、なんて悠長なこと言ってたら何にもできやしない。とても幸いなことに、とりあえずやってみっか、と言ってやれる場所がこの度提供されることになったので、じゃあやるしかねぇわなと腹くくったのがこの前の日曜日。


つい先日、とある自称出版関係の人と話す機会があった。その人はおそらく自分の仕事にとても強い誇りを抱き且つ教養をとても尊んでいて、こう在りたいと考える「自分」に比する人としか付き合うに値しない、といったことを平気で言ってのける人だった。まあきっと、賢いんだろう、その人は。僕よりよほど頭の回転もいいのだろうし、知識も豊富だろうし、日常知り合っている人もすごい人ばかりなのだろう。咄嗟の会話に弱い僕を、まるで上司が出来の悪い部下に対して指導するような口調で、例を提示しながら「どうしてこうやって考えることが出来ないのか」と呆れていた。別に仕事でもなんでもない場にもかかわらず。多分相手は僕に興味を失くしただろうし、僕も日常の他愛無い会話の程度でそこまで意識張り巡らせることなんて出来ないので、今後のお付き合いはゼロだろう。それでいいと思う。

もしも世界がそういう格調あるものだけで構築されていて、こうあることが是であるという信条が確立しているのであれば、きっと僕はそこに相いれない存在であるし、相手方の正当性は他の誰かも強く担保してくれるのだろう。

残念ながら世界はそんな整ったものだけでは出来ておらず、そこかしこに大小さまざまな隙間が存在している。そしてその隙間があるからこそ多くの人が自分なりの生活を営むことができるし、僕もその一人だ。たとえ日本の古典に精通してなくても明日の飯を作ることは出来るし、最新の本屋の在り方についてユニークな返しが出来なくても職場に行って仕事して賃金もらうことは出来る。

もっと雑多な場所が増えたらいいと思う。京都にある「迷子」のような場所がもっとあればいい。いずれそういう場を設けたりするようになるんだろうか。それはそれで面白いしそうならなくても面白い。




追記。

〇〇が好きな人に悪いやつはいない、みたいなのは心底妄言だと思うし、「本が好き」というものなんて特にトップレベルの地雷なんじゃないかとすら思う。完全に私怨のレベルだけど、先の自称出版関係者様は「自分がステキと思っているもの以外は下」という姿勢を全然隠さないし、そのくせ自分が知らん範囲の話は全部スルーしたから本当にどうしようもない人だなと僕は思ったのです。でもその人だって間違いなく「本が好き」な人だ。

こんぶトマト文庫のふみくら

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