“人生”の恢復 青い薬/フレデリック・ペータース 訳)原正人

 19歳の時、交通事故に遭った。

 自転車に乗っていた僕は11tトラックに撥ね飛ばされ、多分若干宙を舞ったのちに地面に叩きつけられ一瞬意識を失い、気が付いたらトラックに牽引されていた荷台の腹が僕の眼前を猛スピードで駆け抜けていた。すげえ!と思った次の瞬間にはまた気を失い、再び気が付くと路上で仰向けになって気持ちのいい青空を拝んでいた。頭の右側に知らないお兄さんがいて、大丈夫ですかと僕に呼び掛けていた。足元より少し離れたところで、同じく知らないおじさんが動転しながら誰かと電話で話をしていた。少し考えて、状況を把握した。つまり僕はトラックに撥ねられたんだな、そう理解した瞬間、全身に激痛が走った。どこもかしこも痛い。特に右足。というかそもそもこれ足ついてる?起き上がって確認したかったけれど、両腕もまんべんなく痛いし体幹も両面痛くてどう足掻いても起き上がれる気がしない。お兄さんに、右足ってどうなってます?と訊いたら、あー…見ない方がいいですね、と教えてくれた。笑うしかなかった。結局くっついてるのかどうかは確認しなかった。

 おじさんが呼んでくれた救急車が到着して、僕は病院へ搬送された。その間ずっと意識はあったし、当然痛みもあった。救急隊員さんに電話を借りて、と言っても手は一切使えないから口頭で番号を伝えて耳元に電話を当ててもらって、実家の母親とその日会う予定だった友達に連絡を入れた。

 結局僕はその後計6か月療養することになり、その間大学は休学した。特定の医療職になることを前提とした学部だったから、前年の単位がないと翌年の授業を履修できなかったので、実質まるっと1年休んでいた。その後復学はしたけれど、事故の後遺症で身体的な制限が多少かかったことやそれの影響が当時未知数だったことによる不安、休学中に見知った新しい世界に夢中になったことなどネガポジ様々な理由が合わさった結果、僕は大学を中退することを選んだ。


 そして僕は「人生」を彷徨し始めた。それは今も続いている。

 きっかけは交通事故だったけれど、あの出来事だけなら元の道へ戻ることは決して不可能ではなかった。自分の意志をもって、いずこかへ彷徨い歩くことを選んだ。今のところ、それは良かったことだと思っている。

 この選択が正しかったのかどうかはわからない、というより、どこまで突き詰めようがどちらが正しかったのかなんて一生わかりっこない。もしもあの時大学を辞めてなかったら、という道はもう無い以上、そこに正しさの尺度を持ってくること自体がナンセンスで、可能性を思案し続けるのは詮無いことだ。

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