“食事”の恢復 おいしいもののまわり/土井善晴

 毎日おいしいものを食べていたい。なぜならおいしいものを食べることはそれだけで幸せだからだ。おいしいものを食べる=幸せ。なんとも簡潔で究極かつ至高の方程式。幸せになりたいのなら、釣りを覚えるよりも先に毎日おいしいものを食べるべきだ。なぜならそれで毎日が幸せになるからだ。


 わざわざ異論を思いつくのも諦めるほどに安直でステキな発想だけど、じゃあおいしいものってなんだろう、と考えてみる。

 料理人が誠心をもってこしらえた料理を出すお店や、メーカーが資金と心血を存分に注いで作り上げた製品は、どちらもそれぞれのおいしさがある。僕は自分が作るご飯が好きだからよく家でご飯を作るけれど、じゃあそれだけで日々のおいしい「食事」が成立するかと言ったら、それはないと言い切る。ちょっと奮発して家じゃ到底作れない素敵な「食事」に出会いたい日もあれば、台所立つのがめんどくさい一心で仕事の帰りしなにある定食チェーン店であったかい「食事」をしてから帰りたい日もある。どれもこれもが大切だ。

 

 おいしいものというのは、体だけじゃなく心も充足させてくれる「食事」のことじゃないかと思う。その日の自分の気持ち次第で、おいしいものは自由に姿かたちを変える。体の栄養分が不足しているときはそれを補う食材を摂りたくなる、という話を聞いたことがあるけれど、それに心の栄養分の要素を添加したような話。

 単に体の栄養分だけを充足させたいのであれば、極論点滴や胃ろうをすればひとまず理屈の上では事足りてしまう。そこまでではなくても、スティックバー状の栄養食品やサプリメントや栄養ドリンクで日々の食生活を賄おう、という発想で生活をしている人はいる。

 とりあえずお腹が膨れたらそれでいい、というような食生活をしている人もいる。卑近な例になるけど、弊社の昼休みの食堂はそんな人で溢れていて、お箸片手に器用貧乏な平たい板をいじっている人が大半だ。様子を伺ってみると、目と意識はほとんど板に奪われていて、たまに利き手に持ったお箸を使って板に目を落としたまま何かをついばんでいる。

 

 もっと「食事」を楽しんで生活したい。一人でも楽しんで食べて、誰かと一緒に楽しめたらますます良い。自分が作ってももちろんいいし、誰かに作ってもらってもいいし、一緒に作ってもいい。作る人と食べる人のふたつがあって初めて「食事」が出来上がる。それが蔑ろにされているものは「食事」と呼びたくない。自分で作る場合は一人二役だ。この関係は大切にしていきたい。

 さあおいしいものを食べよう、いますぐに。

 何故なら人生はあっという間に過ぎ去ってしまうからだ。

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