12月14日(土)13時38分
久々に「特に予定を入れなくても構わない日」なので、午前中はひたすらに臥せっていた。敢えて。特に不健康なソレとかではなく、単に起きるのが面倒であったから。そういうのが許される午前中ならば、そうしてもいいだろうと思ったのだ。12時を過ぎたらさっさと動く辺り自分は偉い。
年内最後になるであろう発注を行なった。
某取次店から「突然だけど某出版社の取り扱いが来週でなくなるからよろしくね」(超意訳)というお達しが昨日来ていて、少し慌てた。いや、だいぶ慌てた。その某出版社というのはずいぶんと老舗で且つ鉄板で、うちでも取り扱ったことが一度ならずあった出版社だったからだ。今のところその取扱い中止の理由が公表された形跡もない。いろいろと腑に落ちないところも多々あるし、来年からそこの取り扱いができないというのは少し困る。そんなことも思いながら、とは言っても外部には計りようのないやんごとなき事情なのかもしれないとか考えながら、その出版社の定番商品をカートに入れる。
小腹が空いたので、先日のマルシェで買った焼き芋を食べる。
焼いた直後のホクホクした芋も素晴らしいけれど、しっかり焼かれた芋をじっくり冷蔵庫で冷やした「冷やし焼き芋」もまた美味しい。特に中までじっくりと焼かれて黄色が深みある濃さとなったものは格別で。
来年のことを言うと鬼が笑う、といったような言葉がある。
でも実際この時期になると口から出るのは来年のことばかりだ。
今年も相変わらず思い付きで何かしらを始めてみることがままあったが、「勝手に読む読書会」はわりとよかった気がする。何より自分に読書をさせる場を自ら設けるという主目的は達成されている。まずは『百年の孤独』、そして次は『吾輩は猫である』を読む。一応のテーマをもって本を選んでいるのだけれど、それに適うものが意外と少ない。ネタが尽きたら終了です。
今のところ当たり前に来年のことを考えて、それに向けての準備をしている。
それはとても幸福なことなのだろうとつくづく思う。それに対しての疑問がないわけではなく、むしろ常に瓦解の恐れを持っている。それが傍らにある事を常に意識しつつ、それでもなお歩くことを続けることを選んでいること。その選択肢を手にすることが幸福なのだろうと思う。
来年。そう来年はSNSの使い方を変えると言っていた。
その移行を進める。ようにしている。
それはまた別途でまとめておく必要がある。
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