10年後にも読みたい本 かしやましげみつの場合
『最高の三十代 ~Perfect SAN-JU-DAI~』の寄稿者に「10年後にも読みたい本は?」と問いかけをして回答があったものを紹介していく、という企画。
元々は刊行イベントの時に展示をしようと思ったものの準備不足で全然間に合わず、後日それに代わるものとして自分のブログで始めたものだった。コンスタントに例えば月一くらいで更新していたらとうの昔に終わっていたものなのに、そのまま塩漬けして今に至る。
前に更新されたのは2022年の12月。もう1年以上前だ。
我々の抗いのような祈りのような一冊は、有難いことに今も時折誰かの手に渡っている。とはいえ残りの部数も少なくなってきて、増刷はする予定がない以上いよいよ終わりが見えてきた。
その一方で、自らがぶち上げた企画を放ったらかしにしておくのはとても気が引ける。
ので、気負って気張って再開することにした。
かしやましげみつの話をしようと思う。
かしやましげみつ。1988年生まれで僕と同い年。彼と初めて出会ったのは名古屋のとあるライブハウス。前回の舟橋孝裕と共に芝居で出演していた。芝居と言っても、非常に実験的というか前衛的というか、自称ドラえもんらしい人と自称のび太くんらしい人がウィスキーか何かが入ったスキットル片手に薬物ダメ絶対と啓蒙しているような、まあ本当に見る人を選ぶやつをしていた。会場はそこそこリアクションに困っていた。
その後、彼が「孤独部」という演劇の団体を主宰していること、同い年で名古屋市内に住んでいることなどを知り、そのうち引っ越しの手伝いなどをしたり彼の芝居の裏方を手伝ったりするような間柄になった。
こんぶトマト文庫、という名前を付けたのも彼だ。ブックマンションへの入所?入室?参加を決めたその帰り、こんなことを始めるんだが何かいい屋号ない?と彼に電話で尋ねた。間違いなく私より言語センスがある人であったし、自分で考えるとどうにも凡庸というか何か突き抜けた感覚が得られず、いくつか考えた陳腐な案を弄んでいるさなかだった。数秒、ほんの3秒にも満たないほどの沈黙のあと、彼は「こんぶとまとぶんこ」と言った。なぜ?!と問うた私に彼は何の気なしに「回文だから」と答えた。即決で採用した。絶対に自分からは生まれ得ない発想。結果今もその名前とお付き合いしている。
『最高の三十代 ~Perfect SAN-JU-DAI~』を企てたのも、彼の部屋でだった。2022年の4月。あれから早くも2年ほどが経つ。今なお変わらぬ親交を築けていることをこの前確認し、さすがに変わらなさすぎでは我々…?とほのかな不安を覚えた。また中華料理食べに行きましょう。
そんな彼が選んだ「10年後にも読みたい本」は、山田詠美の『僕は勉強ができない』だった。
旧版の表紙。どちらに優劣とかそういうのではなく、やはり最初に手に取ったのはこちらの表紙なので、手元に置くならこちらが良い。運よく新刊書店に残っているのを見つけた。
甘酸っぱい、と言うにはやや性欲が漲りすぎている気がしなくもないし(まぁでもちまたの高校生ってそういうものかもしれない)、ならば自分には縁遠い話、とするには主人公・時田が叫ぶセケンの窮屈さにはそこはかとなく身に覚えがある。
一見放埓に生きて性と青春を謳歌するばかりであるように見える時田少年の、しかし一方でいつまでも見て見ぬふりをさせてくれない現実に対する懊悩が、とても良い。ぐるんぐるんと言葉をねじって回して捏ねくってみても、どうにもしっくり来ない。年上彼女の桃子さんとの逢瀬に心身を預けたところで、じゃあとは自分で考えたまへとぶん投げられる。ひどい、あんまりじゃないか。そう嘆きたくもなる。それでも現実はいつだってやってくる。
誰しもが読んでいた、と言うほどではないにしろ、私らの世代でこの本を手に取っていた人はそれなりにいるのではないかと思う。
初出は1991年の新潮掲載。それから30年以上の時が経った。今でもこの瑞々しさは高校生たちに響くのだろうか。是も非も関係なく、そんなことをふと思う。
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