使えもしないのに石油ストーブが欲しくなる

使えない、というのは使い方がわからないわけではなくて、今住んでる家の契約上石油使う暖房器具はやめてねってなってるから。さすが築50年超の木造住宅。どこからでも風がやってきてる気配がする。


年末進行が駆け足でやってきている。

まずは今月中に舫の三号を完成させて(BOOK PORT CAFEは1月2日から営業する予定だ)、

同じく1月2日から同店内の棚で始める新しいフェア用の準備諸々、

その前に1月1日のブックマンションのお店番の用意もある(持ってく本の用意とあとポップ)。

そして1月から始まるジュンク堂コラボ企画後半編の棚に置くフリペも作る。

日々うだうだと仕事している只中、「とりあえず手だけ動かしてたら問題ないし危険作業でもないタイプのやつ」をやっているとき、頭の中で上記やる事共をああだこうだとひねくり回しこねくり回している。


先日無事ジュンク堂企画の選書を提出し終わった。当座これで!という、我ながら若干妥協の産物な気がしなくもないけれど(どちらかと言えば得意分野に走ったという意味で)。

もう没ネタだしなんでか今局所的巷でにわかに話題となっているから書いてしまうと、当初「新しい何かを感じさせてくれる本」というテーマに対して「書評」を念頭に選書を行なう予定にしていた。きっかけはやはりというかなんというか、TikTokでバズってあちこちの平台でお目見えしていた『残像に口紅を』だ。ちなみにBOOK PORT CAFEのこんトマ棚にも1冊刺さっていたのだが、売れた(言い訳がましく言っておくとバズる前から置いてた)(そんな「バズったから置くか」という所作ができる規模ではない)。

それ以外にも、寮美千子さんの『ノスタルギガンテス』も(媒体は忘れたけれど)ネットで読書アカの人が紹介していて売れていた。あれは既にパロル舎が無いもんだから古本でしか、と思っていたらどうやら寮さんが会社潰れる前に大量に自費で引き取っていたらしく、アマゾンのマケプレで破格で販売していることを知った。

そういう風に、おっきな話題になったもので一つと個人的観測範囲で一つ、「誰かが好きで紹介したものが実際の購買行動に繋がった」事例を見た。

それが結構楽しかった。

それに加えて、この夏からこっち、毎日新聞と神奈川新聞の書評を毎週スクラップしている。BOOK PORT CAFEの店内に置く目的で作成し始めたものだけど、同時に少しでもなるだけ活きた本の情報を得る必要もあったからだ。全く関係ない本業をフルタイムでやっていて、合間にどうにか書誌情報を得ようとすると、どうしてもネット(特にツイッター)の情報が多くなる。そしてそこで得られる情報はひどく偏りやすい。だから全く違う回転を自分に加えるためにも、書評はそれなりに有り難い。そして何より、今年はその書評がきっかけで良い本にも出会えた。中村薺さんの『二月の椅子』。あれはおそらく書評を介さないと出会うことがなかった1冊だ。今BREWBOOKSの棚にも置いてあるし、私事だが先日米寿を迎えたばあちゃんにも贈った。あれはとても良い本だ。

まぁそんなこんなで、今年は改めて書評を読むことが少しばかり多かった、のでそれをテーマにしてみようと企ててみた。結局構成力が甘かったのと、当初これを柱にと目論んでいた本の現物を図書館で確認したら「そうでもねぇな」となってしまい、自分の中でこれは成立させられないなとなってしまったので、没。


何かを評価する、作品を批評する、という営為はとても難しいなと思う一方で、じゃあ作品を前にして難しくこねくり回すことばかりでは退屈だと思うのもまた一つ。率直にIQ3くらいの語彙を駆使して「これ、いいよ」と言って人に薦めるのもまた楽しい。でも楽しいだけで終わらせてしまうこともまた勿体ない。そこは「なんでこれこんな面白いんだ?」ってとこをガンガンに面倒くさいほどに深く掘り下げていく事もまた楽しい。そこに発見はある。

瞬間的な潮流にサッと乗っかり今のムーブメントを把握しそれらと上手く付き合っていく事と、ちょっとやそっとの流れに動じない腰の据わった存在及びそれらとの付き合い方を探究し続けること、そのふたつは対立軸ではありえないしむしろどちらもやっていくべきものだと思っている。昔働いてた店長がそれっぽいことを言っていたのをたまに思い出す。数年ばかりの付き合いだったけれど、思い返すにあの人からの影響というモノは決して無視できないなとつくづく思う。


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