5月17日(金)22時29分

往復書簡のような、交換日記のような、今のところ今後どうなっていくのか正直わからないものを友人と始めている。先日早速書いてもらった。

これを受けて、来週の水曜日ごろには返事(と言っていいのだろうか)を書くつもりにしている。何を書くのだろう、今のところ何も考えてはいない。

高校時代に、手紙をやり取りしている人がいた。今では縁は途絶え、手紙はすべて灰になった。深夜の台所で、火災報知機にカバーをつけて使わないフライパンの上で延々と火にかけている様子はなかなか凄かったと思う。マネしてはいけません。ボタン一つでデリートできるネット上のやり取りとは違う存在感が手紙にはある。それを消すのは、やはり火が一番であるように思う。手紙は読まれるものであり燃やされるものでもある。

そんな物騒なことはそれきりで、それ以後も手紙をやり取りする間柄となった人はいるが、多分どこかにまだそれらは残っている。もしくはうっかり捨ててしまっている。読み返すことはない。きっと恥ずかしいことが書いてある。どうか私が送った手紙はうっかり捨てられていることを願う。


どうやら今年度は「書くこと」を強く意識することが多くなりそうな気配がしている。

上のゆるふわしかり、定期的に出している「舫」しかり、それ以外の諸々しかり。

書くことでたつきを得ている人たちはつくづく凄いなと思う。良い意味での人も悪い意味での人もいるけれど。少なくとも自分は到底選べそうにないと思っている。生活のため、であるならば、たとえ自分がどういう状況下であったとしても原則定期的に売るための言葉を提供しつづけなくてはならない。無論、媒体やニーズによってはそれは非常に定型的なものでも一見許されるのであるし、人工頭脳が発達した今、簡単な質問ひとつでここまで書いた程度の分量の文章をほとんど瞬時に吐き出してくれるので、それに少し味をつけたものを提供したらそれで済む、なんて人もいるのかもしれない。大抵はそんなわけないだろと憤ることを願っている。

そういう風に言葉を紡がなくていい私が、何を書くのだろう。己の表出?今うすぼんやりと考えていることについては、少なくとも自分の中だけでは解決しそうにない命題なので、本や人をたくさん巻き込まなくてはいけないと思っている。幸い今月から始まった新しい生活は、今のところそちらにエネルギーを向けることをよしとしてくれているようなので、落ち着いたら早速、等と思っていた矢先に腰を痛めた。腰は骨格から見たところの人体の要である。そこをやっちまうと一気に動きが悪くなる。布団から起き上がること一つが一大事だし、寝返りを打つために雰囲気上の命を懸ける羽目になる。なりました、昨日の明け方。本当に痛かった。幸い昨日行った病院での診察では骨に異常は認められず、筋肉か靭帯といった軟部組織を痛めたのだろうという所見だった。腰回りをじんわり温める謎機械によるリハビリを受けて、ついでにロキソニンテープも頂戴して病院をあとにした。ヘルニアじゃあなくて本当によかった。むしろレントゲンを見た医師からは「背骨が綺麗」と褒められた。左右非対称な運動を要する部活に入っていたので、そしてそれは腰回りに大変な負荷を伴う運動だったのでいろいろ覚悟をしていたのだけれど、そのどれもが杞憂に終わったので本当に良かった。

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