1月1日(月・祝)6時42分

朝から仕事へ行くためにお昼と夜のお弁当を用意して、さぁ行くかと思ったらバスが土日祝シフトのため随分と本数が間引かれており、結果絶妙に時間を持て余したのでブログを書いている。


あけましておめでとうございます。

本年も何卒よろしくお願い申し上げます。


いつの間にか旧年は終わり、いつの間にか新年はやってきていた。

今年の抱負というものを考えると、「いやいや今年も何もここしばらく毎月何かやり続けているし、それは今年もそうなのだからそれをこなしていくだけでなかなか大したものでは?」という気持ちが湧き出てくる。

事実、既に11月までの予定は決まっているし、同時に進める予定のものも水面下でうろうろしている。今月中には発進する見込み。


とはいえ

じゃあ長い目で見た展望で、何か思うところとか考えることとかは無いんかお前はと問う。

自己表現、とか、自己実現、という言葉を想起すると、自分が思う先の姿に対してその言葉はあまりにも大きく、そして狭い。

表現すべき自己がどれほどあるのか、そも自己とは表現するものなのか。

そういうものや志が無くても、人は生活していけるし本業の傍らで本屋をすることはできる。とかくそれを求められがちであり期待されがちである昨今、それはつくづく思う。

あるいは、可視化され受容できる形にナイズドされた自己の程度はたかが知れている。それも思う。そこまで単調なものでもないだろう、各々の自己は。

話がすぐさま脱線する。長い目で見た自分の今後の話だった。

率直に言って、ない。今あること、やっていくと決めたこと、それらの積層の果てに何があるのかを考えてみることはある。しかし明日の命すら不明瞭な人生の上で、その先にある何かを想起しデザインし手中に収めることを祈念することは、ずいぶんと遠い所業に思える。

夢を見ることは良いことであると思う。ただ自分にそれが希薄であるだけで。

現実主義ともまたどこかずれている。現実的に考えたら、そんなことに労力や経済力を回していくのは些か無鉄砲であると思う。それはやっている間ずっと思っている。

根本敬だったか、「でもやるんだよ」という言葉は。とてもいい言葉だと思う。

でもやるんだよ。そういう気持ちでやっていく。


しっかり話をずらして落として、時間もいいころになったので切り上げる。

改めて、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

こんぶトマト文庫のふみくら

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