10月2日(月)23時38分

『違国日記』の中で、「自分のことを昔から知っている人間が今もいること」を大切に思う話が出てくる。

細かいセリフや巻数はちょっと覚えていないけれど、そういう話をしていたことはとても強く印象に残っている。


今の自分はおおよそその発言主と同じくらいの年かさで、あいにくと学生時代から今までの自分を知っている間柄は存在しない。親兄弟であっても、その点においてはどうしようもない隔絶が存在する。

ただ、二十歳を過ぎたごろから今までであるなら、本当に幸いなことに、「あの頃からこれまでの自分」を知っている友人が存在している。そのおおよそは名古屋を中心に生活をしている。僕は今神奈川で生活をしている。


さっき、そのうちの一人から電話が来た。

電話の向こうには幾人かの友人たちがいた。集まっていたところで、電話をしてみようとなったらしい。取り立てて用事らしい用事があったわけでもなく、最近どうだねという世間話から始まって、互いの近況報告をして、たわいもない昔話と少し先の予定の話をして、1時間足らずで電話を切った。

自分の中にある幸福を一つ挙げよと言われたら、そういう関係性が存在していることだと思う。

同時に、今の自分の手が届く範囲には存在しない関係性でもあることを改めて実感する。

電話を切って、自分の部屋に空想上の存在を感じる。それに吹き飛ばされそうな、圧し潰されそうな、そういう心境になる。


10年前みたいだね、という話をしていた。

でもそれは懐古的で妄執が纏わりついた、粘り気のある話ではなかった。

紛れもなく生きているのは今で、見ているのは先だった。だから良い。


明日までにやりたいことが今のところ真っ白なままなので、これからそれに着手する。

少し元気が出たので。

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